運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
12件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1

1973-07-05 第71回国会 参議院 商工委員会 第17号

ただ、こういう研究機関が非常に必要であるということで、それにはまた非常に大きな資金が要るということで、その資金はやはり格がございませんとなかなか集まってこないし、それからもうすでに民間のいろいろな機関でこういうシンクタンクを持っておりますわけでございますので、本邦唯一機関ということでつくります場合には、どうしても政府が予算的な支出をしまして、そのもとに集まれというような形がまず最初には必要なんじゃなかろうかというふうに

小坂善太郎

1973-03-02 第71回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第5号

この序文をかりれば、本邦唯一の天然記念物に関しての事典だそうであります。その中から拾っただけでも、実例はこれだけ出てくる。はたして文化財保護法という物と動植生とを一緒にした行政の中で、動植生保護というものが完全に今後もはかられていくのかどうか、私はどうしても疑問を禁じ得ません。

橋本龍太郎

1962-11-01 第41回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第4号

北部方面隊は、北海道に対する直接間接の侵略に対し陸上の防衛に任ずるとともに、必要に応じ公共の秩序維持に当たることを任務とし、北部方面総監部本邦唯一機械化師団たる第七師団を含む四カ師団及び総監直轄の第一特科団、第三施設団、第一戦車群北部方面航空隊通信隊、病院、補給処等をもって組織されております。

小柳牧衞

1959-08-10 第32回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第2号

本学院教官大学教官と同程度の資格審査に合格した者であり、かつ待遇も新制大学におけると同様であり、校名改称に伴い格別の予算措置を要しない趣きでありますので、政府においてはその校名本邦唯一国立船員教育機関たる実質に即した適切なものに改めることを考慮すべきであると存じます。  以上御報告を申し上げます。  

松浦清一

1954-09-02 第19回国会 衆議院 法務委員会外国人の出入国に関する小委員会 第4号

○辻(文)委員 大分長くなりましたけれども、実は去る七月の十日に当小委員会から、主として欧州人を収容する本邦唯一収容所であるという横浜入国者収容所を視察いたして参りましたが、あの収容所建物は元キヤバレー建物を買収したものだそうですね。その周囲の環境というものがはなはだおもしろくないのです。

辻文雄

1950-12-07 第9回国会 衆議院 文部委員会 第7号

請願要旨は、東京水産大学は、昭和二十二年四月連国軍に接収され、横須賀市久里浜に移転開校中であつたが、本年八月再びその大部分が国警予備隊庁舎として接収されたので、従前通り水産教育を継続することができないのみならず、本邦唯一水産単科大学として使命を果すことはとうてい不可能な状態である。ついては、同大学校舎施設に対し、すみやかに適切なる処置を講ぜられたいというのであります。

浦口鉄男

1950-04-26 第7回国会 衆議院 通商産業委員会 第37号

従つて現在並びに将来にわたつて、この周辺に豊富低廉なる電気が、供給されるわけでありますが、水力電気は全国民が享受すべきものであることを考えるとき、本邦唯一天惠を一地方、一局部においてのみ享受するがごとき再編成方針は、はたして妥当なるものであるかどうか、大臣の御所見を承りたいのであります。

有田二郎

1949-05-14 第5回国会 衆議院 観光事業振興方策樹立特別委員会 第2号

まずわが國において観光事業本格的活動を始めましたのは昭和五年の四月、当時の鉄道省の外局として設置されました國際観光局が出現して以來のことで、同局が昭和十七年十一月戰爭の苛烈化に伴いまして廃止されるまで、十数年の長きにわたつて本邦唯一中央観光行政機関として、対外宣傳実施機関たる國際観光協会及び内外客のあつせん機関である日本旅行協会を両翼として、対外観光宣傳実施を初め、ホテルその他の観光施設の整備

薮谷虎芳

1948-11-28 第3回国会 衆議院 運輸委員会 第13号

ことにアメリカに輸出するところのいわゆる渡波特有本邦唯一種がきの産地であることは、御当局もすでに御承知のことと存じます。この観点からいたしましても、ぜひとも明二十四年度において牡鹿郡渡波尾崎岬の湾頭に、簡易燈台でもよろしいから、ぜひとも建設してもらいたいというのが本請願要旨なのであります。

内海安吉

1947-11-19 第1回国会 衆議院 水産委員会 第25号

本工事の完成いたしました曉には、佐尾漁民の便益はもちろん、一般漁業者出稼根據地といたしましても最も便宜の地位にありますので、本村漁業開發上至大な關係を有しますとともに、漁船その他通航船舶避難港といたしまして重要な場所であり、特に昭和九年、十年の災害應急對策として補助を受け實施したのでありますが、現在のままでは利用價値なく、揚繰網根據地として本邦唯一の奈良尾港に次ぐ場所であるにもかかわらず、事變當初五統

藤原繁太郎

  • 1